自由を得るためのフルタイム職からの離脱

これは退職エントリと称される随筆です。 転職エントリではありません。

その離れた職とは

2021年6月30日をもって日立製作所を退職しました。2017年4月よりソフトウェア工学の研究者として*1 約4年働きました。その前職は全社的な技術向上を目標とするソフトウェアエンジニアでしたので、当職は技術向上の意味において前職と通じるところはありながらも、より未来を見据えたポジションであったと捉えています。study の進歩を意識し、論文を書き、特許を書き*2、海外の大学で特別講義をすることもあったのは、平均的なエンジニアと比較して(能力ではなく職務として)研究者らしかったと思います。エンジニアとマネージャーに近い仕事もあり、開発組織と密接に仕事をしていた日々も多くありました。

主に関わった製品は、医療機器、自動車部品、企業向け機械学習搭載システムでした。この中で一番関わりが深かったのは医療機器であり、そのぶん実際のエンジニアリングプロセスと開発組織へ与えたインパクトも大きく、思い入れもありました。その一端は論文になっています*3 *4。品質・協働・環境という自分がソフトウェアエンジニアリングにおいて大事にしている理念*5 に沿うことのできた仕事として、自負できる実績とやり残したと思える結果の両方を含め、この先も忘れることはないでしょう。

それらの製品(事業)以外にも社内の公式技術コミュニティ*6を通じて関わったものは多く、コングロマリットと称される事業ポートフォリオを体感しながら互いの異なる常識をぶつけ合いつつ技術的な進歩を模索する機会はとても楽しいものでした。

本職では人に恵まれたと思います。賢い人、面白い人、頑張る人ばかりでした。上司ガチャ(上司は運と相性次第という意味のスラング)という言葉がありますが、4回引いて全部当たりでした。さらに、私の入社時期は4月だったので新卒入社の方々と知り合うことができたのも大きかったですね。そうして関わったきた人々の中にはプライベートでの連絡先がわかる方々がいますし、COVID-19 がおさまったらシンポジウムに顔を出すつもりですので再開する機会があることでしょう。

研究との向き合い

企業での研究職に就いたことを機に、以下のことを在職中に考えることがありました。

研究とは、開発とは、研究開発とは、工学とは、科学とは、研究者とは、開発者とは、基礎研究とは、応用研究とは、学術機関の研究とは、企業の研究とは、研究者は研究だけするのか、開発者は研究しないのか、研究課題と事業課題は異なるのか、学術界の会議と産業界の会議の違いとは、論文と専門書の違いとは、研究提案を通すスキルとは、提案/遂行/発表の適切な労力配分とは、研究のインプット元とアウトプット先として学術と産業には何割関わるのが望ましいのか…

関連しそうな本を読みつつ*7考えは進みはしたものの、増す疑問の方が多く、自身の言葉として説明できるには至っていません。

少なくともソフトウェア工学において自身の志向としてわかってきたのは、

  • 学術界から出る先端的な要素技術よりも、産業界の優れた企業から出る先端的な技術ではないものの製品全体・組織全体に影響を与えた事例の方が好み
  • 特定のエンジニアリングプロセスよりもバリューチェーン全体に関わりたい
  • 工学と製品のどちらかの進歩しか選べない状況があるとすると、迷わず製品の進歩を選ぶ(ただし、愛着の持てる製品であれば)
  • 実務者がもっと研究をするようになって(目の前の開発だけで精一杯というサバイバルモード*8を脱して)、実務者と研究者を行き来できるキャリアが一般的になれば事業も人も学問も進歩しそうだからそうなって欲しい

ということです。 最近知ったのですが engineering には大きく分けて work と study の意味があります*9。これを踏まえて先の志向を言い換えれば、study が進むことの価値と楽しさは認めつつも work をより重視する、ということです。キャリアについては、一定以上 work したら study できることがあるはず、一定以上 study したら work に戻らないとそれ以上の study は進まない、ということです。それが事業やキャリアの上で適切なのかといった議論、あるいはただの志向のぶつけ合いをしてみたいものですね。

去る理由 - それは事業の変化

そろそろ退職理由に入りましょう。退職理由には去る理由と進む理由があります。まず去る理由から。それは事業の変化です。

私にとって日立の事業といえば*10

  • 第一に、家電、自動車、医療、建設、エレベーター、工作機械
  • 第二に、鉄道、電力、ストレージ
  • 第三に、金融、公共、産業・流通

でした。正直、第三に挙げた事業を日立が営んでいることを入社するまで知りませんでした。新卒なら企業調査不足として一次面接で落選しそうな知識なのに、よく合格したものです。そして、ここ何年かで進んでいる事業再編*11 からして、トップマネジメントと私で大事にしている事業の異なりが大きくなっていると感じています。例えば、先述した医療機器事業は思い入れが出始めていた事業だったのですが売却されました。

友人のソフトウェアエンジニアと仕事を選ぶ条件を話していると(これまで20人ほどでしょうか)、製品と技術のどちらを優先するかは分かれているように思えます。好きな製品があるから技術的貢献に尽力できるという人と、まず携わる技術が大事で製品はこだわらないという人に分かれるという意味です。私は技術よりも製品(事業)で仕事を選びますので、事業再編の中で同じ技術分野に携われるとしても、その職能を発揮したい場が失われれば発揮する意志も失われます。

これは去る意味での退職理由ですが、次に何をしたいかを示すものではありません。思い入れのあった事業に携われたとしても退職が1年延びただけでしょう。

進む理由 - それは自由を求める打算なき狂気

進む理由を端的に述べるなら、自分と経済社会との関わりを根本から見直し、より自由を得るためです。何を作るか、何の問題を解くか、何を学ぶか、いつやるか、どのくらい頑張るか、さぼるか、もっと自分で選びたくなりました。少なくとも週5日というフルタイムでの働き方を一旦やめ、個人での開発、執筆、野菜の自給、狩猟、自然を中心とした動画制作ができるだけの時間と場所を得て、雇われ仕事をするにしてもフルリモートかつ週2-3日にしたいと望みました。

そうした自由を探求した生き方を表す既存の語句の中では、ホームステッディング*12半農半X*13、Living Anywhere*14 が近いでしょう。さらに言えば、アダム・スミスフリードリヒ・ハイエクの系列が説く自由主義と、個人が扱える技術の高度化(例:プロトタイピングボード、オフグリッド、廃材による建築)の先に、分業から解放され経済への依存を激減させ自由を得た人々が増える未来を見ていることが意思決定の背景にあります。

自由で茨の道には何年も前から憧れがあり、「いつまで会社で働いているのか?」という頭の中の声が年々大きくなり、COVID-19 によるリモートワークをきっかけに実家の庭で野菜を育て始めたら気持ちが決まりました(キマりましたとも言える)。そして、そのビジョンを実現する目処が曖昧なまま退職しました。一時的に収入は激減しますが、何年後かには退職せずに働いていた場合よりも高時給になることをめざします(高収入ではなく高時給なのが重要)。そのためには看板商材が重要で、しばらくはそれを育むことになります。打算と継続努力に優れた人であれば在職中に看板商材の を育てるところでしょうが、怠ける私には無理でした。

まだ狂気が足りませんが、多少狂った判断だと思います。もちろん冷静に金銭と機会の損失を算出する時間はとりましたが、脳内会議の結論は「死なないし、いけるっしょ!」で終了しました。およそロジカルシンキングが要求される職に就いている人とは思えない判断ですが、変人*15だからだと思うことにしました。在職中は現状から1ステップずつ重ねてゆく思考が支配的になっていたのを感じており、同時にそれに反発したい欲求も重なっていたのかもしれません。総じて、自由を求める打算なき狂気によって進んだと捉えています。

年内の活動

さて、目先は何をするのかというと…

共同で技術書を翻訳しています。その終わりが見えたら(8月?)一人でやってみたい翻訳と執筆に着手します。

30平米の畑を借り、夏の今では2日に1回何かが収穫できるようになっています。30平米は家庭菜園としてそこそこ本格的な広さですが自給には全く足りませんのでより広い畑を探しています。なお、自給の目的は少しでも経済から離れることなので農業の予定はありません。

畑の映像・温度・土壌酸性度の監視、タイムラプス撮影による振り返り、雨水の蓄積と水やり、といった機能を持つシステムを作ります。

職場近くの賃貸住宅を引き払って地方にある実家に引っ越しました。ただ、これは一時的なものです。隣に家のない100坪の土地が見つかったら、その1/4を家に充て、1/2を畑に、残りを鶏小屋とBBQ場にするつもりです。

8月に狩猟免許(罠)をとる予定です。鶏小屋を襲いに来たハクビシンでも捕らえたいところですが、鶏が先か獲物が先か…(鶏が先だよ)。

それらが進んだら YouTube でもやってみるかと考えています。

パートタイム、リモート、自分がユーザーとなるプロダクト、英語の日常的使用、Software Quality Engineer という条件を多く満たしていれば就労はありと考えており、探すことがあります。挙げた中では優先度は低いのですが、細く長くウォッチします。

おまけ

Amazon のウィッシュリストに種と苗を載せました。 プレゼントしてくだされば喜んで育てます。

*1:研究開発グループ, https://www.hitachi.co.jp/rd/research/systems/index.html

*2:特開2019-148859:フローダイアグラムを用いたモデル開発環境におけるデザインパターンの発見を支援する装置および方法

*3:医療機器ソフトウェアを対象とした包括的アセスメントのケーススタディ, ソフトウェアエンジニアリングシンポジウム2020

*4:大規模複雑化機能向け単体テストケース設計手法の提案, ソフトウェアエンジニアリングシンポジウム2020

*5:大抵の事業においてソフトウェアの品質に大きく寄与するには協働が欠かせず、特定職種・特定状況のプロセスで必要となる要素技術よりも、定常的な協働のための道具・通信・人員・制度・文化で表される環境の方が重要であるという理念

*6:日立・ソフトウェア革新部会, XP祭り2019, https://www.slideshare.net/masskaneko/xp2019-187703916

*7:新 企業の研究者をめざす皆さんへ, https://www.amazon.co.jp/dp/B0845QVWH5/

*8:エラスティックリーダーシップ, https://www.oreilly.co.jp/books/9784873118024/

*9:the work of an engineer, or the study of this work, https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/engineering

*10:実際には, https://www.hitachi.co.jp/products/index.html

*11:例えばこのニュース https://newswitch.jp/p/24439

*12:https://en.wikipedia.org/wiki/Homesteading

*13:半農半Xという生き方, https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480432063/

*14:https://livinganywherecommons.com/

*15:日立には「高度の発明を為すものは変人以外は期待し難い」に由来する博士号取得奨励の文化がある。ただし私は博士号を取得していないので、その意味で変人とは言い難い。https://www.hitachi.co.jp/rd/henjin/outline/whats_henjin/index.html