Twitterには個人の内心を引き出す力があるか?

Twitterを始めて半年が過ぎた。followingは80人程度なのだが、それ以前では見えていなかった各人の内心というのが徐々に明らかになってきている。そのようなpostは別に多くはなく、大半は「いまなにしてるの?」という王道に答えるものだが、面識の無い人でもfollowしていると少しずつ見えてくる。(確かめてはいないので勝手に思っているだけ)

内心というのも色々あって、喜怒哀楽の感情、文化・宗教・政治的な思想、その他 文章にはまとめられないもやもやした想像・妄想 - 時には常識的に心の内に秘めておくことが推奨される事柄もある。これらが誰でも見られる場に引き出されるようになったということだ。まだ見たことは無いが、mixi日記のように犯罪告白や勤務先の機密事項も見られるようになるかもしれない。「引き出される」としたのは、本人の意志ももちろんあるのだが、ツールの力の方が大きく働いていると思っているからだ。

mixi日記でも似たような光景は何度か見たが、140文字制限があり、Enterを押せばすぐにpostできるTwitterの方が、postあたりに考える時間が少ないので、よりその人が考えていること・感情に近い内容があらわになる。また、必ずしも誰かに向けてpostするというわけではないので、postを読んだ人がどう思うかを考える手間も減る。

思っていることをできるだけ遅延なく、新鮮な状態で発信できるようになったのは確実に進化であり、素晴らしいことだと思う。特に、悩みと欲望のpostはとても人間らしくて好きだ。思想のpostも良い。感情的であっても構わない。○○が好きだから/嫌いだからこの思想を持っているという、思想を持ち始めた根幹がわかるからだ。

いわゆる「変態post」というおかしな内容のpostがしばしば見られるが、もしfavorite狙いなのならば推奨しない。無理をして変態になっても仕方ないからだ。どう思われたいから発言するというのはその人のセンスが表れず、言葉の意味どおりナンセンスだ。どう思っているかこそが重要だ。

常識的には会話でそのようなことを言えば変態・変人扱いされるような内容であっても、内心だから(Twitterだから)という理由で済ますことができる。逆に言えば少々変なことを言っていても、その人をおかしな人ととらえるのはやめた方が良いということだ。例えば意中の異性が「○○(あなたの名前)の生理中のパンツを嗅ぎながら自慰したい」とpostしたとしてもさして気にすることは無く、せいぜい微笑ましく思えば良い。

もちろん、はたからの目が気になる人もいるので、思っていることを迷わずpostするかどうかは人による。言葉を選ぶことは大切なことだが、誰かの利益や人権に関わるようなことでない限り、postしたい内容があるのにしないことはTwitterの魅力を半減させると思っている。

とは言っても結局、Twitterに個人の内心を引き出す力があるかと言えば、ツールとして見るのであればYESだが文化として見るとNOというのが現状だと思う。個人から文字を得るフレームワークとしてはシンプルでもう十分だ。ただ、それを使ってどういうアプリケーションとするかは人々次第だ。おそらく国よって随分違うことだろう。私はprivateという言葉の意味が変わってしまうような文化ができることを期待しているので、このようなエントリーを書くことで小さく知らしめるしかないのだ。